ホメオパシーは本物?健康診断結果が毎年異常認めず先輩が職場いじめで突然死した体験談

職場いじめホメオパシー

症状と心の問題を解決するホメオパシーの専門家、ライフジャンプホメオパス世良純子です。

私はホメオパシーを勉強して11年目になります。

ちょうどプロのホメオパスの活動をしはじめる頃、本気でホメオパスを辞めようと思った事件が2つありました。

  • このシリーズ記事は
  • 健康なのに突然病気になる人がいることを不思議に思っていたり
  • 自分に自信がないから大切な相手に伝えたいことが言えないときに読んでいただければ幸いです。

 

今日はその1つ目の衝撃的な体験についてお話しようとおもいます。

目次

毎年健康診断で異常なしだった明るく元気な営業マン

営業マン

その頃私はホメオパシーの1つ目の学校を中退し(以下A校とします)、2つ目の学校に入学してまだ学生でした。

会社に勤めながら大阪の学校に通うだけでも負担が重かったのに、すでに2年は勉強を終えているホメオパシー学校を去ることはとても勇気のいる決断でした。

しかも別れを告げる学校は、たくさんの仲間がいる大手のホメオパシー学校。

かつて仕事の打診もうけていて、頑張り次第ではそこを卒業して講師になるルートもあり得るしっかりした学校でした。

そこを辞め、世界的な学校だが日本では歴史が浅く、仲間がほとんどいない東京の学校(旧IACH)に通うことは金銭面でも他の面でもとても勇気のいる決断でした。

それでもその学校を選んだ理由は、日本の学校で教えている「ホメオパシーでできること」「ホメオパシーでやってはいけないこと」に感じていた違和感への明確な回答がすべてIACH(現FCH)にはあったからでした。

その頃の私は自分自身の心の問題がたくさんあるから、ホメオパシーを熱狂的に勉強していると自覚があったし、今より寂しがりやだったから「何ホメオパシー怪しい!」と言わないでいてくれる仲間を必要としていました。

そんな私が大切にいていたカラオケ仲間がいました。

私が最初に就職した大手印刷会社の営業Bさんと、私と同じくそこから転職した人達の4人のグループでした。

お互いの友達も連れて、集まっては朝までカラオケをして盛り上がり、仕事やプライベートの悩みも相談できる大切な友達でした。

とくに大手印刷会社に在籍しているのBさんは、当時40代後半だったとおもうけど一番元気。

その頃、徹夜や1週間家に帰れないといった地獄のような残業を会社に強いられていましたが、どんなに切羽つまったスケジュールの仕事でも納期に間に合わせ、弱音を吐かずスタミナとガッツで乗り切れる人でした。

そして、Bさんはいままで重い病にも罹ったことがなく、健康診断で一度もひっかかったことがない自慢の健康体でした。

しかも、身体だけではなく心も健全で、私が女性ばかりの人間関係がドロドロした化粧品会社に転職した後もよく相談に乗ってくれていました。

面倒見のよい彼は、私を応援し、仲間の女性・職場の女性も応援し、時に後輩男性をカラオケに連れてきては、彼女を世話し、関わった人全てに幸せにしようとする典型的な「いい人」でした。

職場いじめで営業成績をあげるも評価されず、理不尽な異動に

職場いじめ

人柄のよいBさんでしたから、さぞかし上司や先輩にも慕われていることだろう、と私は思い込んでいたのですが、仲のよい4人で飲んでいるとき打ち明けられました。

「実は、本部長に嫌われ、片田舎に飛ばされ異動になることになった」と。

彼は誰もが逃げ出すほど、仕事量が多く要求が厳しい大手取引先の担当をこなし、売上金額がとても高く、取引先からも高い評価を得ていました。

そんなBさんがなぜ?と思ったのですが、入社時の直属の上司が現本部長とソリが合わず、まとめて差別をうけてずっといじめをうけていたのです。

ところがBさんは、営業成績が良いので表立っては差別しづらい立場、正義感の強いBさんらしく、弱いもの味方になり本部長にごまをすらないため、目の上のタンコブとして本部長の怒りを買っていたのです。

Bさんは、今までのキャリアとは全く違う仕事に異動になり、さらなるひどい労働環境の仕事につかされ、家から遠く離れた片田舎に単身赴任となりました。

いっそ転職するか?と悩んだのですが、ライフプランナーに相談したところ、会社の保証や給与面で今の大手企業を辞めるべきではないとアドバイスされたとことでした。

Bさんは「いままで身を粉にして会社の為に働いてきた自分の人生は一体何だったんだろう」という屈辱的な気持ちを我慢し、異動を受け入れました。

ホメオパシーで病気に進行していると感じたが、判断に自信がなかった

自信がない

Bさんが異動したことで私たちの関係は変わってしまいました。

会社がばらばらになっても、宴会幹事を買って出てくれていたBさんが、のっぴきならないくらいに忙しくなったからです。

 

しかも、Bさんはすこしづつ付き合いが悪くなってゆきました。

 

宴会するから参加しない?といっても忙しかったり、遠くて参加できないのもさることながら、返事を見ているとそれだけが理由ではないニュアンスを私は感じていました。

 

つらいときはいつでも誘ってくれよ、そっちに飛んでゆくし、飲みに行くからさ!

 

異動前までは、そう言っていたカラオケ仲間の一人と飲んでいる様子はなかったし、その人から誘っている様子もありませんでした。

彼を慕っていた後輩たちも、Bさんと除々に疎遠になりました。

Bさんにご馳走してもらい、仲良くしていたたくさんの女性達も「一緒にいても元気がなくて」と疎遠になってゆきました。

偶然にも異動の辞令が出る前くらいから、彼は妻との関係を見直し、誕生日に花を贈ったりしていましたが、今までの忙しい仕事で疎遠になっていたのか?「無視されたんだよ」と言って笑っていました。

なので転勤も「教育環境もあるから私たちはついていけない」と妻に言われたと、寂しそうに言っていました。

 

前向きなBさんでしたが、除々に

 

「飛ばされた人なんかに誰も関わりたくないさ・・・」というようになり。

「俺一生本社にもどれないかもなあ・・・」というようになり。

宴会に誘ってもなんやかやと理由をつけてごねたり断るようになりました。

 

それなのに、私には飲まないかと誘ったり時間をとってくれていました。

セクハラ・不倫?伝えたかったことが言えなかったその理由

悩み

Bさんには何でも打ち明けていたから、私がホメオパシーなんてマイナーなものを必死でやっていることも知っていれば、私が性的虐待をうけた過去があることも知っていました。

彼は私が最初にうけた誤ったホメオパシーで治りきらず、苦しんで手術をうけて失望したことも知っていて、お見舞いにも来てくれていました。

 

なのでまだ学生の私が「いつかホメオパシーさせてね!」と言っても、健康なのに「おう、やってくれくれ応援する」と私を信頼してくれていました。

 

ある時、わざわざ昔の部長がBさんを訪ねてきてくれて「ゴマすりも必要だぞうまくやれ」とアドバイスくれたと言っていました。

Bさんは本社に戻れるチャンスがあったのに、くやしいからと、卑怯なことをする本部長にそれを反故にするようなメールを出してしまったといって笑っていました。

 

正義感の強いBさんのしそうなことでしたが、

 

「ちょっと!なんだってそんなこと言うかなあ、お願いうまくやってよ」

「どんどん元気なくなってきてるのにそんな意地張ってる場合じゃないじゃん!キー」

 

私も正義感はすごく強いので気持ちはわかるのです・・・・・。

でも、どんどん元気がなくなるBさんを見ていて、私はイライラしてBさんに元気になってほしくて会うと一生懸命説教話をしていました。

でも、そのうち今までと違う冗談をBさんは言うようになってきました。

「俺たちって恋人みたいじゃない」とか「彼氏つくらんといてな~」みたいな冗談です。

Bさんは既婚者で、実際に何かされたことは一度もなかったのですが、ちょっと今までと様子が違うことはわかっていました。

 

Bさんは助けをもとめていたのです。

 

理不尽な上司や社会には屈したくない、正しいことをやっていれば報われると信じたい。

でも今の自分のやるせなく、まいっているその気持ちは、家族には心配させるから言えない。

妻には照れくさくていまさら言えない、甘えられない。

会社ではもちろん弱音なんてはけない。

同姓の友達は、相手が自分のような立場になってしまった人とどの程度本気で関わってくれるかわからないから頼れない。

今まで仲良くしていた女性達は、Bさんが頼りになっていたからこそ、成り立っていた関係だから自分からはもちろん頼れない。

そんな気概があったのだと思います。

 

私に「つきあってよ」もどきの言葉がいいやすいのも、男性がキャバクラにいって普段はいえないことをキャバ嬢に話すのと近いのだろうとわかってはいたのです。

 

でも、当時今よりはるかに奥手で、内面に男性への嫌悪感や罪悪感といった複雑な悩みを抱える私には、既婚なのに年下の私にそういう冗談を言うことはBさんへの憎しみも誘発しました。

今まいっているからそんな冗談を言うのはわかる、でも、私は性的虐待受けた人だからそういう冗談で身がすくむと気づいてほしかったのです。

そう思っていたのではっきりそれに近いことも言ったけど、なかなかわかってくれずみんなでいても、二人でいても、何度も言われ続ける怪しい軽口が私はどんどん重くなって、次第にBさんを避けるようになってきました。

私はBさんの孤独を知りながら、彼をさらに孤独に追いやってしまったのです。

ホメオパシーとは、健康診断が見逃す結果を探り未病を予測する

病気

健康診断で何の問題もない人が突然死したり、何の病気の予兆もないのに亡くなる人がいます。

健康に見えているのに病気の手前にいる、何段階死にちかづいているか?

伝統のホメオパシーではそれがちゃんと分かるノウハウがあるのです。

Bさんにそんな態度をとりながら、一方私はホメオパシーを習っていたのでこうも思っていたのです。

 

「Bさんは実はどんどん健康度が落ちていて、今危ない状態なのではないか?」というホメオパスとしての冷静な査定と直観です。

 

自分のサラリーマンとしての将来へも絶望しているそのことをだれにも語れないのはひどくストレスになっていることはわかっていました。

これは単なる職場いじめだけではなく、純粋なBさんが強く信じてきた「正義」や「人と人の信頼や心のつながり」という信念をも打ち砕く事態でした。

 

何故なら、友情や愛情を人一倍大切にしてきたBさんが本当に困っているときには、元仲間や後輩は疎遠になるのをみて、彼がどんなに傷ついていたか私はわかっていたのです。

 

それなのにBさんは、さらに過酷になった労働条件の中でも、もっともっと頑張って仕事に対して前向きに見せていたし、同僚にも、昔の仲間にも、家族にも元気そうにふるまっていました。

衝撃の訃報、先輩が宴会で心筋梗塞になり突然死

死

Bさんからメールがきたことがありました。

 

「世良ちゃん占いしてよ!」と、私は仕事の関係ですこしだけ占いを習っていたことがありました

「今後の人生の指針がよくわからなくなったからあったときにでもついでに」と

「占いじゃなくってホメオパシーするわまってて」

 

Bさんらしくない、すこし弱気のメールにわたしは強いSOSを感じていたのですが、だからといって特に何かがあるとは思っていませんでした。

 

その後、ある日会社への道を歩いていた時、Bさんの会社の営業さんから電話がきました。

 

「世良さんBさん亡くなったんだよ」と。

 

宴会の途中でトイレにいったきり戻らなくなったから確認しにいったら、店内で突然死したと。

 

「ホメオパシーで感じたこと本当だった?????」私は茫然自失しました。

カラオケ仲間からも電話がかかってきました、Bさんが亡くなったからとお通夜とお葬式の知らせです。

 

「私のせいやねん!!」「知ってたのに、わかってたのに!!!!」「私が私が殺したわかってたのに」

 

泣きながら私はホメオパシーで「Bさんが死に近づいているとわかっていた」「学生だから自信がなかった」なぜあの時無理やりかけつけて彼を助けなかったのか?と泣きながら話しました。

 

「関係ないよ」

「世良ちゃんのせいじゃないよ」

 

私がホメオパスの学校に通っていることを知っている人は全員そういいましたが、私の中で納得いかないままでした。

Bさんは自ら命を絶ったのではありません。

 

でも突然死する人はたいてい何かのストレスがかかったままであることに本人が気づいておらず、しばしばある日破たんが来るということがおきているのです。

 

Bさんはストレスフルな環境にいました。

ここで泣き叫んだり怒鳴ったりできるする人はとても健康なのです。

実は、鬱に進行する人もまだ健康だったりするのです。

彼はとことんまいっていても「いい人」をやったままその気持ちを抑圧して自覚もありませんでしたから、どんどん見えないところで病が進行し、健康度が落ちていることは感じていたのです。

 

なので、Bさんが限りなく危ない状態であることはわかっていましたが、自信がなかったんです。

 

自分のホメオパスとしての査定にも自信がなかったけど、

彼の不安定な心に立ち入るだけの自信もありませんでした。

 

だからBさんがSOSを出していると知りつつ最悪の事態はおこらないだろうと過信し、彼を遠ざけたのです。

 

後悔してももうBさんは帰ってきません。棺の中で眠る彼をみて涙がとまりませんでした。

「ごめんBさん私がなにもできなかったせいだね・・・」

この事件は私の中で強烈に苦い思い出となり、衝撃的な体験となったのです。

IACHというホメオパシー学校で教えていたノウハウ

ホメオパシー

私が入学した最初のホメオパシー学校では、Bさんに問題があるかもしれないことまではわかっても、どの程度危ないか?までの情報が得られるほどのホメオパシーロジックがありませんでした。

それは「同じクラシカルホメオパシー」と名前はついていても、全く別のことを習っているくらい教えられる内容が違いました。

IACHの海外の先生は、日本の学校の先生が直していたようなケースよりはるかに重い状態の人たちにコンスタントに結果を出していたし、心や体の小さな傾向からこれからどんな病気になるかも予測ができたのです。

 

 

わたしはBさんの心に極度なストレスがかかってそれが体を侵食しはじめていることがわかっていました。

でもそれがわかるホメオパシーのセオリーを習っておきながら、自分はそれをどこかで信じていなかったのです。

 

私はこの事件を通して、私がホメオパシーを習得することは、もしかしたら人の健康のいろんなことが本当にあらかじめわかってしまうのかもしれない・・・・と感じたのですが、気持ちは「とんでもないことを知ってしまった」というざわざわした不安のほうが強かったのです。

 

しかも、私がホメオパシーを辞めようと思った事件はこれで終わりではなく、さらなるもっと衝撃的なことがそのあとおこるのです。

つづく

 

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※ここでいう症状とはホメオパシー症状も含みます。ホメオパシー の説明上ここでは仮に治療、治す、改善という言葉を使わせていただきましたが、ホメオパシーは生態がバランスを取り戻した結果改善する場合があるというこ とを目指すものであり、医療行為でも治療でもありません。また、レメディーは薬ではありません。医学的に必要な治療をうけるべき時に治療を拒否することを すすめホメオパシーのみで治そうとすることや、薬でバランスをとっているときに全てやめさせることは誤りです。

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この記事を書いた人

世界的ホメオパス ヴィソルカス教授IACH卒、ドイツのドクターホメオパスにも師事11年選手。他ホメオパスで解決できないケースを多数担当。医療従事者に囲まれ4回の手術経験をもち虐待・アトピーを完治。婦人科系疾患と心の問題が得意。

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