ホメオパシーの専門家、世良純子のプロフィール


はじめまして症状と心の問題を解決する専門家、ライフジャンプホメオパス世良純子です。
1968年生まれ現在48歳です。私のホメオパスとしてのプロフィールをお話ししたいと思います。

性的虐待を受け、6歳で手術

5歳までの私は、男の子達とすぐ仲良しになるな子だった記憶があります。

忘れもしない5歳の時私は近所の人から性的虐待を受けました。

最後まで、ではありませんでしたが、ほかの女の子も同じ目に遭っていたのでその話を親にしました。

 

「まさかあなたがやられたんじゃないでしょうね!!」

 

般若のような形相で母親は私を叱りつけ、私は自分もされていたということが言えなくなりました。

そして私は「自分はとんでもない悪いことをしてしまったのだ」との心の扉を閉じてしまったのです。

 

その後、私は病気になりました「腸ヘルニアで手術」わずか6歳のこと。心の病から病がおきた最初の経験でした。

 

恋も、おしゃれも体験できなかった青春時代

私は私は穢れているそんな固定観念をもっていましたので。

おしゃれをしたり、男の子と話したり、を好きになることへの罪悪感があり、それをやると「お母さんに怒られるのだ」と強く思っていました。

 

なので、

  • 大学にはいるまで好きになった男の子は一人もなし
  • バレンタインデーも好きな男の子にドキドキすることもなし
  • 友達と恋の話をすることもなし
  • 芸能人に憧れることもなし

そんな少女らしい経験は何一つないまま青春時代がすぎました。

 

「ショッピングいったことないでしょ?」「アンタダサいよね?」「あのブス」とバカにされていましたが、悲しいという気持ちすらありませんでした。

 

「自分には人を好きになる権利などない」と信じていた私は、バカにされることに抵抗する気持ちもありませんでした。

 

そんな私をなぐさめてくれたのはただ一つ「漫画家になるという夢」でした。

 

ひどい男性嫌悪は、漫画家になる夢まで奪った

訳大有りで私は美大に進学することになり、有名漫画家のアシスタントのバイトにありつけました。

絵はうまかったのですが、当時の少女漫画といえば、「ラブコメ」が主体で、いざ漫画を描こうとすると・・・・男性の絵が全く描けないことに気付きました。

 

「男性が嫌だ」その気持ちは絵すら描かせないほどに深い闇を私に与えていました。

 

男性の絵が描けない私に恋愛漫画が描けるはずもなく、漫画家になることもあきらめざるを得ませんでした。

 

友達が洗脳宗教に入信し、初めて自分が心の病らしいと気づいた

美大は性に対してとても自由な雰囲気で、同棲は当たり前、下ネタは当たり前、時には宴会で素っ裸になる男性もいる環境でした。

この性的にオープンな環境は当時の私にとってとてもストレスで、入学してすぐ私は病気になりました。盲腸が食中毒だと誤診され、見つかったときには腹膜炎直前にまで進行しており、救急車で運ばれ緊急手術となりました。

 

思えばこれがストレスによる病気を発症した2度目の手術でした。(このあと傷跡の形成でもう一度手術)

 

入院したことはストレスフルな環境から若干私を遠ざけたました。私は体調を理由に、下ネタ満載の宴会を断ることができました。

でも下ネタがなくても、男性と普通に会話をすることすら難しかったのです。

 

そんな時、クラスに私のように男性が苦手な同級生がいて彼女と仲良くなりました。

彼女は父親から暴力を受けていて、彼女から「男性は女性を性的な対象としてみない清らかな仲間がいるからそこにはいらないか?」とコミュニティに誘われました。

 

ところが、そこは当時社会問題にもなっていた、某洗脳宗教団体でした。

幸い私は入信しなかったので、私は教会の牧師や彼女の親にかけあって彼女を助けようとしました。

そしてその洗脳宗教が、私達のように性に否定的な感情をもつ人をターゲットにしていたことを知り、その時初めて気づいたのです。

 

男性と話すだけでもこんなにも罪悪感がある私は、どうやら心の病気らしいということに。

 

ひどかったアトピー、あだなは「おばあさん」

性的虐待を受けた後、私はアトピーも発症しました。

アトピー線といっていつも目の下に皺がたくさんはいっていたので、小学校時代のあだなは「おばあさん」。いつでも手や足をがりがり掻いてはリンデロンという強いステロイド薬を塗っていました。

一番アトピーがひどかったのは高校~大学生の頃、容姿を気にして恋をする青春時代です。

私はボロボロを皮がめくれる顔でお化粧もできないようなガサガサの肌で、自分の容姿にもひどいコンプレックスをもっていました。

 

ホメオパスとなった今なら「自分は穢れている」という深層心理が、

デトックスとして私にアトピーを発症させ、その症状によってますます醜くなって恋を避ける理由にしていたとわかるのです。

 

自分を癒すために行った自己啓発で、少女をレイプしたという男性に出会う

24歳ではじめて男性とお付き合いし、その後の大きな転機は就職でした。

とても人間関係のよい環境で、バリバリと販促ディレクターの仕事をやり、仕事仲間として認めてもらうことで、自然に「男の人って怖いものじゃないんだな」ということを学んでゆきました。

その後おつきあいする男性もできて、自分が女性だということを受け入れられるようになりましたが、まだ性的にうまく男性を受け入れられない問題で悩んでいました。

それを癒すべく「努力」で自己啓発セミナーにゆきましたが、そこでとんでもないことがありました。

 

一緒に癒す仲間の一人が、小さい女の子に性的虐待をしたことがある男性だったのです。

彼は自分の罪を告白するワークで「幼い子をレイプしました」とみんなの前で告白し、ファシリテーターは「どんな罪を犯しても誰もその人の尊厳は傷つきません!」と高らかに宣言していました。

私はワークがすすめられなくなりました。

あまりに辛くてファシリテーターさんの奥さんに電話しましたが、彼女は「性的虐待を受けた人は集団のワークでは問題がうまく解決しない」とは言っていましたが、あなた次第と言い続け、ワークをやめなさいとは言いませんでした。

なので私は「性的虐待の傷をいやせるかも!と期待し、頑張って」ワークを続けました。

最後には性的虐待したという男性が素っ裸になり、ストリッパーの役として踊り狂う姿を、ファシリテーターの男性が私に「彼を応援し、許すワークをしなさい」といいだしました。私は彼をサポートしながらふるえ、泣いていました。

一方、そのストリップした男性は、「やっと自分の性的なものが解放された」といって嬉しそうに帰ってゆきました。

そんな人でも罪悪感があって、自分を癒したかった、それは理解はできたけどその後私は具合が悪くなり、彼とうまくいかなくなり、最終的には別れました。

 

どっぷりスピリチュアルにはまる20代後半~30代中盤

性的虐待を受けた時相談する相手もなく、誰も助けてくれなかった親への恨みがあることに気づき、28歳~34歳くらいまで、精神世界にどっぷりとはまりました。

自己啓発、スエットロッジ、クラニオセラピー、ロルフィング、ドルフィンスイム、占い、オーラソーマ、マヤ暦、フラワーエッセンス、感情出すワーク、嘘丸出しの霊能者まで、ありとあらゆるヒーリングを体験しました。

 

多くの時間とお金をかけ、自分と向き合うことに費やしました。そして自分を見つめるという「頑張り」で自分はすっかり癒されたのだと信じていました。

 

アトピーは落ち着き、化粧品会社に転職

もともと化粧品会社への就職を希望して内定ももらっていたのですが。開発するにはアトピーがひどすぎるという理由で断念せざるを得なかったのですが、

34歳の頃毎日のケアを必死にやることでなんとかアトピーが収まっていた私は再度化粧品会社入社にチャレンジし、念願の本当に良いナチュラル系の化粧品会社に転職し、使命感をもって販売促進や開発を担当していました。

 

散々やったスピリチュアルでも治せなかった婦人科病

もともと家族に医師がおり、友達にも医療系の仕事の方が多かったので、私は西洋医学で治らないものがあることを人より早く「医療系の人から聞いて」知っていました。

また、自分には性的虐待の経験があったので、薄々婦人科系の病気になる可能性があることを心配はしていましたが、婦人科検診を受ける台にあがる勇気がなく、長年検査もうけずに放置していました。

 

ところが、ショックな失恋の一年後、すでに手術適応の巨大な子宮筋腫がみつかりました。つまり3度目の精神的なショックによる疾病の発症です。

 

最初の病院では「とにかく開けてみてどうしようもなかったら子宮とろうか?」とあっさりと言われました。散々自分の女性性を否定してきた私に罰が下ったようなそんな気持ちに苛まれボロボロになりました。

自分なりに性的虐待を癒すヒーリングワークも再三してきたのに、病気になったことで挫折感が私の胸を占めました。

何とか手術をしないで治す!ということに取り組み。

漢方、中国生態、ヒーリング、気功、食事療法ありとあらゆることにとりくみましたが、何をやっても治らず、最後にホメオパシーに辿り着きました。

 

ホメオパシーでも大失敗、救急で病院に運ばれ手術

ここで、ホメオパシーで治ったからホメオパスになった!!!!というのがふつうのストーリーですよね(爆)実は私、ホメオパシーの大失敗というのを体験しているのです・・・・・・・。

 

ホメオパシーというのはその人の状態をみて、ホメオパスが適切なレメディーを提案し、それを飲むことで共鳴して症状が改善してゆくものですが、

私の最初のレメディーはとても効いた気がしました。

でも、その後もどんどん、レメディーを変えて何種類も投与され続けていたのですが、筋腫はどんどん巨大化し、貧血も悪化しヘモグロビンが5(通常11~15 10で輸血)になり、毎日しんどくて階段を上るだけでもぜいぜいいう状態にまで悪化しました。

子宮筋腫は巨大化しすぎたら子宮ごととらないといけなくなるので、治らないなら手術ができるうちにホメオパシーもうやめたいとホメオパスに何度もいいましたが、私の担当ホメオパスは治るかもしれないから続けてくださいと言って高額なお金を払い続けていました。

ところが子宮筋腫が悪化するばかりか、痛みがひどく担当ホメオパスに連絡するも、指示通りにレメディーをとるとますます悪化し、連絡途中で出張に出かけ、何度電話しても電話が通じず、ホメオパシー学校も対応もしませんでした。

絶体絶命の中、救急では運ばれ緊急入院となり、手術となりました。つまり4回目の手術です。

でも無事筋腫だけ手術でとることに成功しました。

 

真偽を確かめるために、退院後ホメオパシーの学校に入学

38歳子宮筋腫の手術後、体力はとても落ちていました。体重は8キロ痩せ、体力もなくなり、どこかへ出かけるとすぐ夜には嘔吐する。病院の薬を飲んでも貧血も治りきらない、そんな状態でもまだ私は必死で働いていました。

普通これだけの目にあえばホメオパシーやめますよね・・・?

 

私はその時、ホメオパシーというものは本物なんだけど、このホメオパスのコントロールがまずかったのではないか?と感じ、真実が知りたくなり自分の治療を失敗したホメオパスがいる学校に入学しました。

 

当時のその学校では「新人のホメオパスが対応してはいけないケース」「ホメオパシーでは治らないケース」「病院をすすめたほうがいいケース」はなく、なんでもケースバイケースで受けることを検討してもよいと教えていました。(今は多くの学校にガイドラインがあるようです)

友達や知り合いに医療従事者の多い私には、病気に携わるにもかかわらず、このアバウトな感覚が非常に違和感で、ガイドラインもなく、どんな病気も奇跡のように治せると本気で信じて教えていたことが私の病気への誤った結果になったのだと気づきました。

 

なので、私は無責任は代替療法をおすすめしないのです

ホメオパシー適応ではない症状に関してはホメオパシーではケアできませんとお話ししています

当時はまだホメオパシー業界モラルというものが確立されていなかったように思います。

 

とうとう見つけた!本物のホメオパシー!!!!!

その中で私がやっと納得するホメオパシーに出会いました。

 

「ホメオパシーは最初のレメディーを見つけてお渡しするのは実は簡単です。

そうではなく、レメディーを出した後反応をチェックしながら、次はどのようにレメディーを出して、または出さないで、いかにその方を治癒までもってゆくかというコントロールをする。

その部分のノウハウを持たないホメオパスには、最初のレメディーをお出しする資格すらないのです」

世界3大ホメオパスヴィソルカス教授のIACHというホメオパシー学校の紹介文でした。

 

その時私は既に働きながらホメオパシーの学校に通っていたのですが、その強烈なメッセージに惹かれ、その新しい学校にも入りなおし働きながら、2つのホメオパシーの学校をかけもちしていました。

最終的には最初に入った学校は中途退学し、IACHこの日本校1本に通うことにしました。

そこでは教えていることが全く違いました。

 

まず、多くのホメオパスが好転反応(やレメディーを飲んだあとのアクション)は予測ができない、防げないと言っているし、発信していますが。

 

良いホメオパスは、これから起こる反応が予測でき、その予測がどれだけ正確にできるかが、良いホメオパスである条件です。

 

とまで言い切っていたのです。

ですので、新人のホメオパスが対応してはいけないケースもあれば、これ以上はできないケースもあれば、こうなったら病院にいってもらうというケースも普通にガイドラインがありました。

そこで私は海外ホメオパスのホメオパシーセッションを受けることとなりました。

 

劇的な治癒が私におきた。

すでに以前のホメオパシーの失敗で体内が混乱しきっていた私は、精神的にも感情的にも身体的にもボロボロという状態でしたので、特殊な処方がなされました。

提案されたレメディーをとった後まさに劇的な効果がありました。

 

それはもう今まで体験してきた自己啓発だのスピリチュアルだの、カウンセリングだの何年分は一体何だったの?というくらい

 

「劇 的 な 効 果!!!!!」でした。

 

今までずーっともっていた男性に対する色眼鏡が「今突然なくなった!!!」くらい男性嫌悪がなんと「ごっそりと」なくなったのです。しかも「こう考えなさい」「あなたは男性を好きになってもいいんだ」というカウンセリングやアドバイスはホメオパスは一切言わないのに、です。

レメディーが共鳴すると勝手にいろんなことがおこるのです。

ネガティブな感情がなくなることから、記憶力があがることから、身体の症状が治ることから、冷え症が治ることから、チャンスがやってくることすら、勝手におこるのです。それが潜在意識に深くヒットするという本物の体験でした。

 

これから男が寄ってくるぞ、といわれましたが、「絶対ない!」と言い張る私がそのセッション会場を出た瞬間に外人さんにナンパされました。わたしがもつエネルギーというものは既にすっかり変わってしまっていたのです。

その後は、永年当たり前のようにあった女性であることへの罪悪感がどんどんなくなっていき、普通に恋をして楽しむことも、じたばたすることも体験するようになりました、38歳まで死んでいた私の感情はすごい早さで息をふきかえし始めました。

 

それだけでは終わらなかった、もっとすごい治癒

クラシカルなホメオパシーでは、その人が生まれてから今までいろいろのせてしまったレイヤーというものを分析する形でその人をプロファイルします。

つまり、今の問題というレイヤーがなくなれば、また次のレイヤーがでてきて、それがなくなればまた次のレイヤーがあるといった考えで、レイヤーというブロックをどんどんとることで、本来のその人に近づいてゆくという考えです。

わたしは冷え症が治り、貧血は劇的改善、胃腸も改善、感情がすぐでてくる涙もろい性格になった、なんでも言いたいことが言える、おしゃれが楽しい、レメディーが効いたあとモテキが訪れ、私はどんどん「別人」へと変わってゆきました。

そのうちそれなりに治ったと信じていたアトピーが出てきて長期悪化した後、どこにいっても「それだけは治らない」といわれた首のアトピーの黒い跡がすっかりきれいになくなりました。

年齢的にはすでに30代後半なのに、アトピーが治ったことで目の下のアトピー線の皺もなくなり、肌もハリを増し、若返ったとみんなにいわれました。

それどころか、少々メイクをおとさずに寝てしまっても、肌に悪い化粧品をつかっても、ジャンクな食べ物を食べても、甘いものを大量にとっても、ストレスがたまっても、※良い子のみなさんはこのようなことはしないでください 全くアトピーが出てこないという「完治」を体験したのです。

その後高校の同窓会がありました。11人くらいの人にいわれたでしょうか?「あんた誰?」と私は雰囲気自体が別人となっていたようです。

次のレイヤーを飛び越えたとき、自信のなさ、責任が怖いという意識に働きかけました。

ほとんどの役職者、会長の反対する中、自分がやりたい商品を商品化するべく会社にかけあい、企画した商品は大成功をおさめ億単位の売り上げをあげ、その後も商品を企画するたびに当たり前のようにヒットするようになりました。

 

schoolsera中学生まだアトピーがましな時の写真

atopi24歳アトピーで顔が真っ赤

20age20代後半またアトピーが悪化

sera47

現在47歳アトピー完治

 

ホメオパシーでできることは、実は世間でほとんど認知されていない!

私の師匠は私にこういっていました。

「これは高度なホメオパシー」と

 

ホメオパシーというのは一般的に病気治しのためだけにつかわれがちです。そしてそのクライアントが最初に来た時の症状が治ればそれで終わり、と思われがちなのです。

うんと健康な人なら症状ひとつだけが悩みということもあるでしょうが、たいてい病気というのは、育ちの中で親にちゃんとケアされなければ寂しいという気持ちをもち、その満たされない気持ちが自信のなさをつくり、自信がないまま会社で仕事するから失敗がトラウマになり、そのストレスでアレルギーが出たのを薬で抑圧したことが喘息になり・・・・という風に、

 

今出ている症状には全て過去からつながった何重もの層(ルーツ・ブロック)があるのです。

 

でもたいていの人はそこまでの長い期間のレンジでホメオパシーを考えていません。

 

なぜなら本当のホメオパシーに触れる機会がなかったからです。

 

ホメオパシーではなく「ライフジャンプ ホメオパシー」って?

私が提供したいのはホメオパシーではありません、「ライフジャンプ ホメオパシー」です。名前は私がつけました。

やることは本物のクラシカルなホメオパシー。

初回セッションではその人がどんな遺伝子傾向を持って生まれ、どんな環境で育ったことによりどんなストレスがかかり、どんな病気になったときにどう抑圧し、どんな薬をとったからどうなって、だから今どうなのだ?という

 

まさにその方の人生のルーツを1客入魂ですべてプロファイルします。

 

私はそのレイヤーをひとつ、ひとつとってゆき、とことん本来の自分の可能性に近づいていただき、最大限のパフォーマンスを発揮するところまでお手伝いするホメオパシーが、私がご提供するホメオパシーです。

 

これは2つの理由で誰でもできません!

  1. 1つめは その特殊なスキルは伝統的なクラシカルホメオパスしかできません。日本では日本流に解釈しなおされた簡易なホメオパシーがあり、レイヤーという概念は、ホメオパシー創始者ハーネマンの弟子の弟子、ヴィソルカス教授のメソッドなのです。
  2. 2つめは 技を知っていても自分がそこまで乗り越えた体験をしていなければ、人のレイヤーが正確には見えてこないという点です

 

 

私が提供する「ライフジャンプ ホメオパシー」ではこれをお約束します!

 

jump

私はその時だけのホメオパシーというものをご提供しておりません。

 

●ご提供するのは根治

ホメオパシーを受けて症状が治るけどしばらくしたら戻り、またホメオパスのところでレメディーをもらったら治る。それは完治ではありません。そして正しいホメオパシーでもありません。レイヤーを飛び越えた後は以前の状態にはもう簡単には戻らないのです。

 

●ご提供するのは劇的な変化

失恋を治すだけでも本当の変化はもっと「劇的」です。失恋の理由もわかれば、似た恋の失敗もしなくなり、男性との付き合い方も変わります。

 

●ご提供するのは人生ごとの変化

よくクライアント様に初回にお越しいただいたときのお悩みを読み上げます。たいていは「え?私本当にそんなこと悩んでましたっけ?」と言われます。

レイヤーをジャンプして飛び越えた後は昔もっていた考え方の癖すら治ってしまいます、まるで性格がなおったかのように。そして最初のお悩みを飛び越えていただき、もっともっと新しい地平線をみていただくことまで可能なのです。

 

 

私の想いはただ一つ。

  • あなたの身体のや症状を改善していただく。
  • あなたの心の問題。失恋や、人間関係、家族関係の悩みを改善していただく。
  • 改善した症状がそう簡単には戻らない状態にまで導く。
  • あなたが今までの人生かけてしまったブロックをはずし新しいレイヤーに辿りついていただく。
  • それらの変化を 依存関係なしに 自らおこしていただく。
  • ホメオパシーで対応できない症状についてはきちんとお伝えする。
  • どれくらいの期間で効果があらわれるかについてもきちんとお伝えする。

症状と心のつながりを解き明かす専門家、ライフジャンプ ホメオパス世良純子のホメオパシーを体験してみてください。

必読!こんなホメオパスにひっかかるな!騙されずにホメオパシーを上手に受けるポイント9つ

 

世良純子のプチ情報

1968年9月6日 兵庫県の神戸市に産まれる

1993年3月  金沢美術工芸大学大学院 美術工芸研究科(染色)卒業

1993年4月  大手印刷会社入社 販促ディレクターとして働く

2002年4月  化粧品会社入社 販促と商品企画を担当

2007年    某ホメオパシー学校入学

2008年    ギリシアIACH日本校入学

2009年    某ホメオパシー学校中退

20010年11月 FCH ジャパン卒業(IACHが途中からFCHに分化しましたのでFCH、IACH両方の卒業試験を受けともに卒業しています)

2011年2月  ギリシアIACH日本校卒業

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いつでもご連絡お待ちしております!!!

長いストーリーを最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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症状と心の問題を解決するホメオパシーの専門家 世良 純子
症状と心の問題を解決し、あなたの人生の問題も解決するホメオパス。 世界三大ホメオパス、ヴィソルカス教授のIACH日本校最後の卒業生で、ドイツ人のドクターホメオパスにも師事し、FCHも卒業した10年選手クラシカルホメオパス。 医療業務従事者に囲まれ、自身が4回の手術経験をもち、西洋医学の限界を痛感。虐待の生い立ち、アトピーも完治。 21年販促ディレクターでライター。ヒット商品も開発する辛口マーケッターでもある。詳しくはプロフィールをご一読くださいませ。